1> ピンク映画へは高橋判明監督からのスカウトでした。
演劇との出会いは高校を卒業してからです。演劇の養成所へ通い、その後フリーでアンダーグラウンド演劇(通
称:アングラ演劇)を演っていました。
当時、日本では最も激動の時代(60年代∼70年半ば)学生運動と共にアンダーグラウンド演劇が収束に向かおうと
していた時代です。
私が生まれて育ったのは東京です。戦後日本の急速な高度成長期に対する激動の時代、進学教室に通う道すがら新
宿でのヒッピームーブメントを目の当たりに幼少期を過ごしました。
中学・高校時代はハードロックのライブや六本木・渋谷のロック喫茶やディスコに入り浸っていました。日本の反
戦フォーク音楽よりも欧米のロックが大好きでT.Rexのコンサートにも行きました(笑)
その影響が強かったのだと思います。音楽をやっている友人が多い中、私はずっと「自己表現」を考えていまし
た。そして音楽の才能が無いのでアングラ演劇を選びました。
東京のアンダーグラウンドシーンは、まだ演劇、音楽、映画、アート、舞踏人達のネットワークがあった時代で
す。
そんなシーンにいた私に「映画に出てみないか?」と声をかけてくれたのが高橋伴明監督でした。
02. В чём выражалась концепция "A media express anti-Establishment statements is the pornograpy films"? По прошествии времени, оглядываясь назад - какие результаты были достигнуты? Вы пришли в индустрию, когда Вам было 19 лет; могу предположить, что было много романтики и подросткового бунтарства. Однако, Вы получали премии в этой области. Нет ли разочарования от того, что порноиндустрия из некогда оружия превратилась ныне в очередной вид индустрии развлечений? Или это не так? Есть ли область для дальнейшего действия?