Garuda Indonesia Colours Magazine January 2018 | Page 166

164 Sabu Raijua | サブ・ライジュア 味覚:グラ・アイル グラ・アイル (砂糖の水) は、 来客に出される一般 的な飲み物だ。 このヤシから作る甘い飲み物は、 何十年にもわたり水源のないこの地域特有の 「リ ージョナル・ドリンク」 となってきた。 人の細胞と浸 透圧が等しいアイソトニック飲料で、 水分を効率 よく補給できる。 そのためサブ・ライジュアの人々 は、 これを飲んで酷暑を乗り切っている。 イジュアは2014年にサウ・シー・マリン・ナショ ナルパークの主要区域になっているが、 知る人は 多くない。 サブ・ライジュアは東ヌサトゥンガラ南部にあり、 豊かな歴史で結び付いた二つの島から成る。 地 元の人々にとってこの二島は兄弟であり、 お互い を支え合う存在だ。 サブ島の方が10倍も大きな 島であるにも拘わらず、 弟分とされているのが面 白い。 「サブ島はライジュア島の土からできたと伝 えられている」 と、 人類学者のニコ・L・カナは自著 『Dunia Orang Sasu (サウ族の世界) 』 でも述 べている。 二つの島では景色の大半が、 小さな丘の連なりと 広大なサバンナによって占められている。 ここでは 雨季が3ヵ月を超えることはない。 また海抜100 0メートル超の高い山や丘がないため、 潮風が島 全体を吹き抜けている。 ルドゥプムル・ヒルを越え て島の南部へ向かう途中、 インド洋から吹く風に 逆らって競うように走ってゆく馬の群れが見えた。 サブ島での暮らしはのんびりとしており、 島のあち こちで昔の雰囲気を感じることができる。 島民は 塩の製法として、 牡蠣の殻に海水を集め何週間も かけて自然乾燥させるという古代の技術を使って いる。 チュマラ・ビーチには実際塩作りのために、 巨大な牡蠣の殻がたくさん並べられていた。 ここでは伝統的な村々がきちんと保存され、 かつ 尊重されており、積み上げた石を円状に並べた 門はまるで村を守る要塞のようだ。 こういった村 々で、 いくつもの民族が何世代にもわたって生活 してきた。東サブで、私はクジ・ラトゥという古い 村を訪れた。十数軒の伝統的家屋がある、 比較 的大きな村だ。 そこから程近い場所にあるバ・コ タ・イダ村では、王族が遺したオランダ語の書か れた墓石を見ることができる。 こういった伝統的な村落は概して丘の上にあり、 見晴らしの良い場所から近付いてくる敵を監視 できるようになっている。今回訪れることができ た村々の中で、最も謎めいていたのがナマタ村だ った。他の大半の村と違って石の門で囲まれて おらず、広場に楕円形の巨石が点在しているの が特徴的だ。 これほど奇妙な巨石の形を見たの は初めてで、 まるで巨大な卵のようだった。地元 の人々は、 これらの石に不思議な力があると信じ ている。 ナマタ村に住むエリザベスによると、 この楕円形 の石は自然にできたものだという。 「私達が手を 加えたのは、倒れてしまわないように土台を強く したことだけです」 とエリザベスは話してくれた。 重要な行事の際には村民がここに集まり、 デオ・ ライと呼ばれるリーダー達が石の上に座って行 事を司るそうだ。 サブ島の石はちょっとした地質学現象として、外 国の研究者が数多く島を訪れた。例えばブリガ ムヤング大学のロン・ハリスは長年研究を続け、 ナマタ村の石は250年以上の時をかけた膠結 作用によって砂が固まってできたものだと結論 付けた。 島の南部に行くと、 この何百年もの過程を経た 結果ターコイスからピンクまで様々な色になっ た岩山を眺めることができた。私達はクルッバ・ マジャという小さな渓谷を訪れ、 この膠結作用 によって砂が石になり、丘の斜面や鋭い崖に波 線が残った様を目の当たりにした。 ここは太陽 の光の強さによって、色が変わるのだという。 クルッバ・マジャからもう少し先へ進むとピンク 色をしたラデー・ヒルという谷があり、徐々に白 亜へと薄れてゆく。 この谷もまた、数百年の浸 食によってできたものだ。 この辺りは、週末にな ると島の若者達が集まる